ピーの寝る前に相変わらず読んでいる漫画日本(世界)昔話。
小学校低学年向けの本なのだが、ピーにはちょうどいい長さだ。
最近読んだ「絵姿女房」!
奥さんが美人で常に奥さんの絵をみながら畑仕事する兵六さん。
ほのぼのした時間が流れる。
これを見て思い出したピグマリオン✨
古代ギリシャの彫刻家で、芸術をかじった人にはある程度知られている。
現実の女性に失望していたピュグマリオーンは、あるとき自ら理想の女性を彫刻した。その像を見ているうちに彼女が服を着ていないことを恥ずかしいと思い始め、服を彫り入れる。そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。さらに彼は食事を用意したり話しかけたりするようになり、それが人間になることを願った。その彫像から離れないようになり次第に衰弱していく姿を見かねたアプロディーテーがその願いを容れて彫像に生命を与え、ピュグマリオーンはそれを妻に迎えた。(Wikipediaより抜粋)
自分の理想の女性を彫刻していく内にその彫像の事が好きになってしまうが、何せ相手は石膏だ。
ピグマリオンはその彫像が好き過ぎるあまりその石膏像はついに生命が吹き込まれ、人間の女性となり、晴れて結婚!
男性が自分好みの女性を育てる(作る?)という意味では、映画の「プリティーウーマン」にも影響。ちょっと間違えるとロリコンもこの路線らしい。
またこのピグマリオンは教育やビジネスでよく使われている事を発見。
(ピグマリオン効果というそうだ)
教師や親が子供に(上司が部下に)期待すればする程その子(部下)は生命を宿し親(上司)の期待通りに育っていくという。
ピグマリオンさんの相手は私にとってはどうしても石膏(マテリアル・物質)のイメージがあるから、
期待(人の念)が人を形作るなんてあるわきゃないよʅ(◞‿◟)ʃ
などと考えていたが、ゴーマジ先生が仰っている「目で見て話す」にもしかしてマテリアルな要素があるのではないかとちょっと考えてみた。
目は鏡だ。
自分の目に相手が映る。
その時点で目(視界)を通して自分の中で相手の何かが自分の中に既に形作られているのではないだろうか。
理想かもしれない。期待かもしれない。
その何かが目を通して相手(対象)と共有する事もあるかもしれない。
そして相手もその共有した姿に自ずと変わっていく事もあるかもしれない。
前記事でナツさんが質問をしてくださったきっかけで考えた事。
子供の気持ちって結局は親の想像でしかないのかなという疑問。
ピグマリオンはそれでも伝わるかもしれないという希望につながるもののように思えた。
今、私はどういう気持ちで子供と接しているか。
どういう目をしているか。
怒りに満ちていたり、がっかりしていたり、疲れていたり。
そんな目をしていないだろうか。
反省_| ̄|○!!