レモネードです🍋
今日はオンラインで受講しましたが、
PCの反面は仕事のやりとり片手だったので、
カメラOFFのまま、エフェクトがよく分からず。たまに変なスタンプ送っていました💦
今も仕事の合間に、熱い内に言語化してみました!
*本日の授業*
コミュ力とは、
考え、気持ちといった情報を受け入れ、理解し、
相手に分かったという事を伝え、
相手が反応を求めているなら、適切な形で返す力。
コミュニケーション力は、コミュニケーションの回数に比例する。
⓪前提として、「子供が話したがっている事」
①名前を呼ぶ。(大事!)
②こっちを向かせる(目を見る)
③伝わっているかの確認。
「〇〇ってどういう事?」「そもそも〇〇って何の△△?」「そんな事今まであった?」
「どこ見てんの?」「それで聞いてるの?」「人と話ができなくなったら終わってるぞ。」
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ニーは小学生の頃からコミュ力は高かったように思う。
先生からもそのように評価されてきた。
ニーとは幼少期からずっと何らかの話題で話してきた。
ピーはどうだろうか?
ピーとは普段色々とぶつかる事が多いのだが、
成長するにつれ話していてたまに妙に話がシンクロする事が起きるようになった。
それは、真島先生のコミュ力を鍛える事に通じるものだと直感した。
それを「分析的精神」に基づいていると思った。
なぜなら、「俺らにしか分からない事」で盛り上がる事が多い点があるからだ。
ピーは、人間観察が得意で、特に良い先生を嗅ぎ分ける。
その特徴を事細かく出す。
「そこで!ギャルたちに注意するかしないか、スルーするかで決まるよね。」とか、
「この先生のこの点は優れているけど、ここのこの点は弱いよね。」とか。
「がーっここで決まるんだよ。」「問題はここなの。」
「〇〇するのはいいが、△△ってありえなくね?」
「あっ、それ分かる!でもここのタイミングだけは逃せないよね。」
みたいなやりとりだ。
構造を言い当てることに特化したような会話なのかもしれない。
人の構造、物の構造、仕組みの構造、処世術の構造、体に関わる構造
それを言語化する時は、ピーは分析的だな、と感じる事が多い。
ニーのように即行動!には移せないタイプは、その分よく人や物を観察しているのだな、と感じる。
観察に優れている者は、行動力がある人間よりもより分析力が高いと思うんだ。
その対象の分析について追及する私とピーの会話は、ここのコミュ力の定義と合致しているのかな、と感じたんだ。
コミュ力とは、
考え、気持ちといった情報を受け入れ、理解し、
相手に分かったという事を伝え、
相手が反応を求めているなら、適切な形で返す力。
コミュ力はその受け入れる人の範囲がどこまでかで決まる部分が大きい。
愛好家同士や趣味仲間は、その点共感の嵐で盛り上がる。
もちろん相手の趣向もよく知っているから、
それも含めて相手の反応を適切に返す力も、その加減も気遣いができる。
しかしよく一般的にコミュ力の高い人間モデルとして扱われる、広範囲に影響力のある人間として捉えた時どうだろう。あらゆるタイプの人間の気持ちや情報を受け入れ、理解し、適切なやり取りで返しながら動ける人は、人間関係において広く浅く処世術にも長けているように思う。もちろん気の合わない人やアンチもいたり、そういった中でも万人に適応できる人間関係を築ける者は多くない。人間は何らかの趣味趣向を持っているものだから。反面、行動力ばかりが優れていても分析力のない人は、円滑なコミュニケーションはできないだろう。
結論は、
浅く広くの総合的関係と深く狭くの分析的関係のバランスが良い人こそがコミュ力が高いと思われた。
そしてそのコミュ力の育成する上で「分析的な」物事を追求する会話は必要な物だと感じる事ができた。
これからもできる限り、そういった会話をニーとピーと楽しみながら続けていきたい。