中1高1松江塾【初代公認】ママブロガーレモネードの徒然記

松江塾中1男子・松江塾卒高1男子のママ、レモネードです。日々の記録や思ったこと感じたことを徒然記していきます。

判断停止から見えてくるもの

しばらく言語化や思考化が続くと、

人は突如にして「判断停止」の状態に陥ることがある。

 

エポケー(判断停止)とはフッサールという哲学者が、現象学という哲学で提唱した言葉だ。

ja.wikipedia.org

 

人は定期テストや大きな仕事が終わり疲れている時、

よくボーッとなる事がある。

 

その状態はまさにエポケーだ。

判断が中断されている状態。

 

中断されていても、目は見えるし音も聞こえている。

五感は機能しているが、ただ情報を受信して流しているだけで

アウトプットやそれに必要な機能は停止している。

 

フッサールという人は、人の意識とは何かを問う為に、

判断や認識が機能するもっと原始的な初期段階である「判断停止」という状態に目を向けた。

 

ちょっとだけレム睡眠に近いかもしれない。

目覚まし時計が鳴っていて、起きている自分を夢見ている様な浅い睡眠。

 

なぜフッサールは「判断停止」(エポケー)に目を向けたのか?

あらゆる哲学がそれが真理だと証明する事はできなかったから、

 

フッサールは全ての人に共通する判断以前の認識以前の「意識」が「意識」たらんとする状態に目を向けた。

 

朧げに知覚のみが現れる場所

 

イデアという象徴(志向性)のような記号のような世界

 

人間の意識に目を向けた学問は、「真理」につながる道として開拓された。

 

アートにもつながる人の意識と無意識の間に目を向けた現象学。

 

 

時にこの「判断停止」の状態が「心地よい」と感じる時がある。

 

全ての正義や概念を決めつけたくない自分がいる。

 

各々の「正義」を持っている者同士は高確率でぶつかる。

 

 

また「判断停止」(エポケー)状態は意識をリセットし整理できる場所

 

自分の中で必要な情報と不必要な情報を取捨選択して、自分のものにできる事。

 

思考のフル稼働が続いている時は、

 

一度脳を休ませて、リラックスした状態で全てリセットできると良いと思う。

 

余分な情報を捨てる事で、

 

また一つの事に集中できる状態が準備できるのではないかと思う。

 

人の意識と無意識は、絶妙にリンクしているから、

 

意識が突っ走って無意識が置いていかれないように

 

一度全てを保留にしてみる。

 

全ての判断を中止して

 

宙ぶらりんな状況を作ってみる

 

自分らしい道がきっと見えてくる。