しばらく言語化や思考化が続くと、
人は突如にして「判断停止」の状態に陥ることがある。
エポケー(判断停止)とはフッサールという哲学者が、現象学という哲学で提唱した言葉だ。
人は定期テストや大きな仕事が終わり疲れている時、
よくボーッとなる事がある。
その状態はまさにエポケーだ。
判断が中断されている状態。
中断されていても、目は見えるし音も聞こえている。
五感は機能しているが、ただ情報を受信して流しているだけで
アウトプットやそれに必要な機能は停止している。
フッサールという人は、人の意識とは何かを問う為に、
判断や認識が機能するもっと原始的な初期段階である「判断停止」という状態に目を向けた。
ちょっとだけレム睡眠に近いかもしれない。
目覚まし時計が鳴っていて、起きている自分を夢見ている様な浅い睡眠。
なぜフッサールは「判断停止」(エポケー)に目を向けたのか?
あらゆる哲学がそれが真理だと証明する事はできなかったから、
フッサールは全ての人に共通する判断以前の認識以前の「意識」が「意識」たらんとする状態に目を向けた。
朧げに知覚のみが現れる場所
イデアという象徴(志向性)のような記号のような世界
人間の意識に目を向けた学問は、「真理」につながる道として開拓された。
アートにもつながる人の意識と無意識の間に目を向けた現象学。
時にこの「判断停止」の状態が「心地よい」と感じる時がある。
全ての正義や概念を決めつけたくない自分がいる。
各々の「正義」を持っている者同士は高確率でぶつかる。
また「判断停止」(エポケー)状態は意識をリセットし整理できる場所
自分の中で必要な情報と不必要な情報を取捨選択して、自分のものにできる事。
思考のフル稼働が続いている時は、
一度脳を休ませて、リラックスした状態で全てリセットできると良いと思う。
余分な情報を捨てる事で、
また一つの事に集中できる状態が準備できるのではないかと思う。
人の意識と無意識は、絶妙にリンクしているから、
意識が突っ走って無意識が置いていかれないように
一度全てを保留にしてみる。
全ての判断を中止して
宙ぶらりんな状況を作ってみる
自分らしい道がきっと見えてくる。