こんばんは⭐️レモネードです。
上記のタイトルは最近、ニーやムラとちょっとした疑問として、雑談混じりに話した内容だ。
実はかなり以前にも同じ内容の疑問が話題に上がったことがあった。
しかしながら、適度に「どうでも良いもの」としてスルーされていた💦
以前から「置いてけぼりになった課題」を今頃になって改めて議題として取り上げた次第だ。
埼玉スタジアム(サッカー)に通う連中達。
かなりの確率でプロ野球球場にも通っている。
サッカーファンは野球ファンでもあるのだ。
しかしながら、、
プロ野球球場(野球)に通う連中達は、
埼スタ(サッカー)に行くとは限らない。
これはなぜか?
この現象はなぜか?
ニー、ムラ、チャーとそれぞれ意見を出す事にした。
◎ニーが言うのは、野球は『ガチ勢』が多いからと言う事だった。
それに比べて、サッカーはあれもこれものスポーツ一般にひとまず首を突っ込むミーハー野郎が多いのではないかという考察だ。
→しかしこれを言うならサッカーガチ勢も少なからずいるのではないかと思った次第だ。
◎チャーが言うのは、文化の違いとの事だった。
野球は古くから日本で愛されてきた。サッカーよりメジャーなスポーツと言える。サッカーファンも野球は親しみ深いのではないかと言う事だった。
→しかしこれを言うなら小学校の休み時間で遊ぶスポーツは大方サッカーが多かったし、もはや令和の時代にサッカーと野球に差はないのではないかと思った次第だ。
◎ムラが言うのは、ただの偶然ではないかとの事だった。
たまたまニーとムラのサッカー友達に野球好きが集まっているだけで、野球好きがサッカー好きなパターンも実は多くあるのではないかと言う事だった。
→しかし『サッカー→野球の流れはあれどその逆がない』という推測にある程度誰もが「あーーー🙂↕️」と納得する限り、ただの偶然とは言い切れないものがあると思った次第だ。
そこで、私の意見を言いたい。
ゲームの「体系の違い」の問題なのではないだろうか?
と言うものだ。
実は同じようなものが、
>>囲碁と将棋にも言えると思ったんだ。
囲碁をする人は将棋も嗜んでいるパターンが数多くあれど、将棋をするからといって囲碁もやるとは限らない。
囲碁愛好家+将棋>将棋愛好家+囲碁
これは、
サッカーファン+野球>野球ファン+サッカー
と同じ共通点があるはずだ!と思った。
サッカーは野球に比べて、単純/複雑の比較は難しいと思ったのだけど、
野球の方がサッカーよりゲームとしては「体系的」だと思ったんだ。
同じように将棋も囲碁より「体系的」であるように感じたんだ。
ではなぜ「体系的」なゲームの方が人に流布するのだろうか?
「非体系的」→「体系的」の流れはあれど、「体系的」→「非体系的」の流れはなぜあまりないのだろう?と考えてみた。
日常的に、カードゲームでも、「非体系的」→「体系的」に進行していく事が多いのではないかと思ったんだ。
一回「体系化」されたらもうそれを崩す事に抵抗があるような。
逆に「体系的でないもの」に、人は不安に思う事もあるのではないかと思ったんだ。
ルールが単純すぎるとか幼児でもできるゲームとか、自由すぎて逆にどうすればいいか分からないとか、もっと「体系的」な方が面白い!と人は思う部分もあるのではないかと推測してみた。
>一度「体系化」されたら、人は「非体系化」に戻れない。
「体系化」はその人の概念を形作るもののように思った。
この「人の癖」のようなものを知っていたら、体系化されたものから一度距離を置く習慣をつけてみたら、それはそれで強いと思った。
もちろん「体系化」にまとわりつくしがらみも一度捨てなければならない事になるだろうが💧