こんにちは☀️レモネードです。
タイトルから、もうキテますね💦
先日の夫婦ラジオでボネ子先生の言葉が響いた✨
まあ、生きていると子育てしていると色々あってね💧
そう!ニーとムラが1人の別人格を持ったある意味「他人である事」と同じように、
ママも人格を持った1人の人間である点を主張してもいいではないか!そういったポジティブなメッセージを受け取った✨
前提として、予め言わせて頂くと、
もう十分、ママでなくてレモネードなんだけどね✌️!!!
ムラが中学に上がった時点で、または好きなデザイン系の仕事をしている時点で、さらにはアート活動まで始めている時点で、
ママとしての仕事(家事や育児、勉強の伴走)はだいぶ落ち着いてきて、自分の時間を充実させる方向にシフトできてきたと思われた。
でもだ!
やはり日常は常に言い合いになる!
子供の「親は俺のこと好きだろう」という片想いの状況が子供に「甘え」を生み出し、子供の生意気がまかり通る環境を作っている、という真島先生のご意見にも全く賛成だ。
そして、あまりに子供を理不尽に感じ、親が「自分の感情」を客観的に捉えられるようになった時、ボネ子先生のおっしゃったように、しっかりと自分の気持ちをぶつけてもいいのではないか?とそう思わせられた。
普段、結構ぶつかる!特にムラ(中2)!
「何だよ〜🥊!」と軽い「暴力」に出る事もある!
その時は流石にめちゃくちゃ怒った。
「叱った」ではなく「怒った」!
ブチギレた!「犯罪」という言葉も出した。
ニーの方はそんな事はまずないのだけどね💦
そんな日常に活路を見出す内容だった✨
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
今回も前回の夫婦ラジオに続き、ボネ子先生の爆撃力のある「論破力」の一端が垣間見える機会を得たので、このきっかけで分析してみたい!
ボネ子先生の考え方は決してお母さんは無理をしてまで子供を許容する必要はない、という考え方をお持ちだ。
我慢できなくなるタイミングが来る方が怖い、という理由からだ。
上記の段階に来る前に話し合うべきだ、と言う。
「この子、無理!」となった時、
子供が親からの絶対的な愛情を失ったという喪失感を持たせてはいけないから、「子供への絶対的な愛情があるが故に私は我慢してきました。」という点は伝えるべきだと思うし、「それがなくなるのが私は怖いです。」という点も言うべきだと思う。
子供を変えようという訳ではなく、子供に「自分の思いは、私はこうです。」という思いを伝えていく。
①親である私があなたを子供としての愛情をあげ続けたい気持ちはある。
という前提をまず話す。
親が子供を愛情で満たしたい気持ち。
ーこれは「倫理」にあたる部分だ。
②でもママの感情はそれはできない。「ママはどうしてもあなたを受け入れられないから」。
ここで自分の感情を子供に話す。
これは「私的な感情」にあたる部分だ。
「①の倫理が遵守できない点が②私的な感情として心苦しい」というセリフを子供に放っている。
このセリフを言われた相手は絶対的に反論する余地が奪われる点をお分かり頂けるだろうか?
①の倫理(母の子への愛)とは、基本的に反論できないものなのだ。
しかしこの倫理(道理)を子供の前で「昔話」のように暗唱するだけでは、何の拘束力も効果もない。(むしろ子供に舐められる恐れあり)
ボネ子先生は、
その倫理を遵守する事ができない点を「②私的な感情として心苦しい」と子供に訴えている。
そして③として、
②の親の私的感情の状態が、さらに①の倫理「親が子供に愛情を注ぐ事」(人としての道理)が遵守されない理由にもなっている!!!
①→②→①→②→①→②→①→②→①…入れ子式に無限に一方の理由として繰り返される。
そのようにして、
①公の倫理と②個人としての私的な(自分)の感情、両刀の刃で「あなたの考え方は受け入れられない」という構図になっている。
故に、もはや親の私的感情=倫理になっている💧
親子がお互いに気持ちが良い関係「両想い」でない限り上記の状況は続くのだ。
しかしこの論理の攻め方で、子供を「両想い」にまでコントロールする力は強固なものだ!と再認識させられた。
倫理(道理)と私的感情
この2つのセットをうまく駆使する事で、子供の"戯れ事"は大方成敗できる⚔️✨
すごいアイテムもらっちゃったよ💡
いや💦もちろん、理不尽さの理由の説明と親の率直な感情をしっかり話した上での事だが!
子供の脳内にいかに新たな価値観を、論理と感情の両面から創造できるかに掛かっていると言えるだろう。
子供側からすれば、いかに親が捏造した「インスタント道理」を切り崩すかにかかっているとも言えるのかもしれない。
しかしボネ子先生のイリュージョンはそう簡単には崩れないだろう。
見習わせて頂きます🙏✨