こんばんは⭐️レモネードです。
本日から高校部は「爆裂期間」に入ったそうです✨
初回に亜朗先生から
ドイツの心理学者エミール・クレペリンの「作業興奮」のお話がありました。
「まず勉強を始める事から始まるもう一つのモチベーションについて」ーニーと「形から入る事の大事さ」を再確認した。
ひとまずやってしまおう!
始めた後に、新たに出てくるモチベーションがある。
アリストテレスも以下のように言っている。
「始まりさえすれば、半分は達成したも同然だ」
まず重い腰を上げる事からがスタートなんだな、と考えさせられました✨
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
以下は、自分のお話です!
「工場萌え」という言葉がある。
工場夜景とか工場風景とか。。
実は、私は工場の風景がとても好きで、なんだか近未来的な風景にワクワクする自分がいる✨
以下のような風景です▼

工場風景の中でもとりわけセメント工場は私の中でかなり好きな方です。
たまに写真を撮ったりしています。

しかし、その気持ちがとあるきっかけで引き裂かれる出来事があった。
ニーとムラがまだ小さい頃、家族で温泉に行った時の事。
気になるセメント工場があり、チャーに無理言って車を工場の前で停めてもらい、写真を撮らせてもらった。
しかしその後、
温泉がある山の多数の森林が伐採され、そのセメント工場のセメントで多くの森林が塗り替えている事実を知った。
自分の中で渦巻く環境破壊への危機感。
その意識からセメント工場のイメージが自分の中で少し変わっている事に気がついた。
もちろん、セメント工場自体は何も悪くはない。
ただセメントを作って運ぶ必要な機能を果たしているだけなのだから。
ただ「近未来的な萌え感」が一気に「環境破壊のイメージ」にみるみる変わっていく事に気がついた。
アートの土俵で考えてみた。
「近未来的な萌え感」を表現したいと思っても、それのみでは一義的だ。
しかし環境破壊の現状を知っているか否かで、アートの内容は変わってくるように思った。
反面、政治的なコンセプトで活動しているアーティストはむしろ「環境破壊」の側面を全面的に出している内容のものもあるかもしれない。環境破壊への活動をするならまだしもアートとして面白いかどうかはまた捉え方や見せ方で違うように思った。
だからといって「近未来的な萌え感」「環境破壊のイメージ」両義的な側面を取り入れる事もまた違うように思った。
私はセメント工場自体をまだ知らない。
上記のイメージはセメント工場に私が勝手に抱いているもので、セメントを専門的に扱っている人の仕事内容も、セメントに詳しい専門家から得られる情報ーセメントの性質や固まる時間やセメント種類や温度などなどきっと奥が深い。
工場の見た目だけで勝手にキュンキュンしているが、必要な機能や装備で工場のあの形状に成り立っている。
本質を捉えないで、あーだこーだ言ったり、勝手なイメージで判断していても何だか虚しいような気持ちになった。
自分の中でついつい持ってしまう勝手なイメージもちゃんと本質を見て調べた上で見ないといけないな、と反省した。
感覚的に好きなものでフィーバーする事も、生活の彩りとしてはいいものであるが、本質を知ってから見直す必要を感じた。