中2高2松江塾【初代公認】ママブロガーレモネードの徒然記

松江塾中2男子・松江塾卒高2男子のママ、レモネードです。日々の記録や思ったこと感じたことを徒然記していきます。

【親単科42】横幕先生vs真島先生との本音で英語トーク!!

こんばんは⭐️レモネードです。

先日の親単科について、

真島先生と横幕先生が、今後の塾の英語の教授の仕方についての対談形式でトークが進められた。

 

そこで横幕先生が挙げられた英語ワークの4つの型に注目だ。

 

・羅列型(英単語)

「ターゲット1900」「パス単」など

・フレーズ型

「システム英単語」など

・例文型

「デュオ3.0」「オールインワン」など

・長文型

「ハイパー英単語」「速読英単語」など

 

 

横幕先生がメインで推しているのは「例文型」で、次に「長文型」だ。

やはりストーリー性があって、「没入」でき、英単語や文法はそれについてくる系で、またリスニングにおいても短時間で終わらせられる点が、

一番要領良く吸収できる、という点で最も良い、という観点をお持ちだ。

 

これに関して多くの生徒さんや受験生を導いたご経験から、「人間の学習の生理学」なるものに精通しているように思われた。

 

 

横幕先生と真島先生との間でひとまず話題に上がったのは、英語という教科の構造についてだ。

 

(学ぶべき)対象がない!

 

社会なら歴史や地理、国語なら小説や古書、漢文、数学なら数式や定理、理科なら地学や化学、科学、生物などなど、生徒達が好奇心が掻き立てられる対象がある。

 

しかし、

語学である英語はそのものが学習対象なので「没入」する(好奇心が駆られる)事が難しい点を挙げられた。

 

確かに!

 

「没入」意識から、普段のゴーまじ先生の授業の長文読解では、恋愛ストーリーやホラーなど学生の興味惹かれる内容を用いている。

日本語を覚えた外国人は日本のアニメを3万時間見る事でアニメの面白さも手伝い、覚えるパターンが多いらしい。

しかし実際の大学受験での英語長文はもっとドライで平坦な内容が出題される。

 

 

横幕先生は普段受験まで時間がない高校生(受験生)を指導されている機会も多く、

「ハイパー英単語」200周(暗記&リスニング)して受験に臨むといった実地に近い荒技で受験生を「共通テスト英語8割」に導いてきたようなお話をされていた。

ここまでくるとインスタントでの最も要領の良い形でのある意味「詰め込み」式とも捉えられた。

 

英検においても英単語のみの学習の要領の悪さは強調されていて、

英検で最もメジャーな「パス単」ですらインプットでは使用せずに、「確認」程度に使用し、インプットに関しては例文型や長文型が最も良いとのお話だった。

 

 

上記の内容は、例文や文章そのものへの「没入」意識においても、リスニングの要領の良さにおいても、記憶の定着においても、的を得たものだと思われた。

 

 

しかし上記の話を横幕先生が生徒に話しても、一部の素直に聞く生徒を除いて、多数の生徒が素直に聞かないという最重要課題があった😱!!

 

 

横幕先生はおっしゃった。

素直に先生の話を聞く事ができる心の余裕のある生徒、自分の出した正解よりも多数の生徒を見てきた先生の話の方が説得力があるだろうと理解ができる優秀な生徒、それは一部の生徒であって、大方の生徒が自分流にあるいは学校流に「トランスフォーメーション」していくとの事だ。

 

 

なるほど〜🤔

 

上記の部分が一番難しいのではないだろうか?

真島先生はそれは「許さない!」と断言しているが、

横幕先生は「放っておく」姿勢に留めている。

ここでのお二人の体制の違いが英語教育の根幹に当たるものだと思った。

 

 

ちなみに私の息子のニー(高2)だが、、

私自身は下記の記事を書き、もちろんニーにも「白チャ」の良さをアピールしつつも、

 

lemonade-blog.online

 

ニーはその後の学習報告でしっかりと青チャの報告をし続けている!

 

決して上位層ではない!まさに「白チャ」のターゲットゾーンのニー!

結局「青チャ」に流れてしまった!自分の感覚とやらを信じて。

英語においても肌に合っているという理由で結局「シス単」に流れている!

 

確かに、私も何も言わない😅

本人の選択としか思えない。

 

しかしここで突き放す横幕先生が「冷たい」とは、全く思えなかった。

 

確かに私の美大受験時にも先生の言う事を素直に聞き、どんどん「美大受験」に適した上手さを発揮していく生徒、また別に先生の言う事を聞かずに「自己流」で描いていく生徒がいた。

 

前者は美大に結構合格できたが、後者は大方落ちた。

しかし後者の彼らの選択がいいか悪いかは別問題だ。

 

私自身は「自己流」で描いていく事を否定することはしない。

実際美大に行かずに良い作品を作り続けるアーティストも多くいる。

 

結局は自分の目指す大学に行きたい意志を持っているかどうかなのだと思う。

その点を自分自身が現実的に捉えられるかどうかに全てがかかっている。

そう思った。

 

 

生徒という素材にアクションを与えて、その後の判断を任せる態度(クマ先生)と、

生徒という素材をデフォルメして、合格する方向に導く態度(ゴーまじ先生)。

 

一方は、地元の旬の食材を用いてその素材をそのまま活かした和食の職人。

もう一方は、食材である素材をフードプロセッサーにかけ、ピューレ状に変えその他スパイスやアレンジを加えて、しっかり作り込まれたフレンチフルコースを作る一流シェフ。

 

勿論、個別指導と集団授業の違いもあるかと思うが、そういったところだろうか?

 

答えは出ないが、素材である生徒は一人の人間で、一人の人格だ。

もちろん失敗もある程度は自己責任を負うべきだと思う。

もちろんそれで受験の合否で泣く事も覚悟の上で。

そこは回避したいという親心があれば話し合う時間を持つこともありだと思った。

 

だからこそ、ここの両極の問題は、英語教育に限らず、教育の根幹部分であるように思った。