中2高2松江塾【初代公認】ママブロガーレモネードの徒然記

松江塾中2男子・松江塾卒高2男子のママ、レモネードです。日々の記録や思ったこと感じたことを徒然記していきます。

【元高校教諭が語る】美術という教科の評価について

おはようございます☀️レモネードです。

いきなり堅苦しいタイトルになりました💦

自分自身が美大の大学院を出てから、高校教諭になった時の経験談の一つを切り取って記事化してみようと思います。

 

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lemonade-blog.online

 

↑上記の記事の後のお話です。

その後私は大学院に進学しました。

美大の油絵科、しかも院まで行った学生は大体がアーティストになる人が多い。

同級生達は華々しく画壇にデビューしていた。

その中でも皆が抱える問題は「収入」の問題である。

 

 

就職している子を見ると教師や学芸員などが多かった。

私も教員免許だけは大学時代から義理で取得していたので、

大学院を出る頃は「専修」という教員免許を取得した。

私はあくまで収入を得る手段として「教員」の選択肢も入れていた。

しかし本命はゲーム会社だった。

「雑念」に囚われている自分はアーティストの道を一度外れ、一度は大きい収入を得るために就職する気満々だった。

 

ゲーム会社の二次面接の前に、とある公立高校の校長から連絡があり、行って話を聞くとすぐ採用と言われた。

美術教科の「専修」という免許保持者はあまりいないようで、教員採用試験もパスできるとのお墨付きをもらった。いくつかの私立高校の面談に行っても「教諭(美術コース)としてすぐ来てほしい。」とのオファーがあった。当時は教員も御多分に洩れず就職氷河期だったが、自分は教員においては苦労なく収入を得られるポジションがもらえる、と思った。

 

 

ゲーム会社は忙しそうで制作活動が全くできなさそうなので、ゲーム会社の面接には行かずにそのまま教員になった。

「収入を得るために手段として教師を選択したが、元々は教員を志望していた訳ではない。」これが甘い考えである点を後々よく知る事になる。

 

 

でも自分の社会経験は教員という形でスタートした。

今回書きたいのは、その一年後の偏差値66の公立高校にいた時の経験だ。

 

 

その前の1年間は公立の底辺高校で大変な思いをしたので、勤務する学校が変わるだけで転職したのかと思う程の激変ぶりだった。

まず教壇に立つと、40数人の生徒達の目が一斉に自分に注がれた。

「すごい。みんな自分を見ている✨」

驚きを隠せなかった。

底辺高校にいた時は、本当に自分をしっかり見て話を聞く生徒はクラスに対して数人〜頑張っても10人だった。

 

 

また同時に視線の種類が違う事に気が付く。

「競争心」とでも言うのだろうか?

自分を見る目に力がこもっているように思ったんだ。

 

 

実技に入るともっと驚いた。みんな、そこそこ上手だ。評定でいう所の「4」が大多数であった。「5」の領域に届く子も結構いる。前年のように授業中走り出したり踊り出したりする生徒はおらず、一生懸命デッサンに集中している。その集中力が半端ない事を悟った。もちろんそれは教師としては嬉しかったのだが、何かが違う気がした。

 

授業前も画材を運ぶ自分に「先生、持ちます!」の声。「私も」「私も」が連なる。

しかも「○年○組の〇〇です。」と自己紹介までして帰る。

圧倒された。

 

授業が終わると私は美術準備室に入って、彼らの事を考えた。美大に行きたい子は美術部に数人いたが、みんなレベルの高い普通大学を目指している。その中の一つとして美術があるのだ。

 

これは評定の付け方で荒れるぞ!そう直感した。

 

予感は的中し、自分は彼らの完成された作品を並べ、思い悩んだ。

大方「4」、「5」も多い。しかしながら「3」はいない。

完全に絶対評価なら良かったのだが、ある程度相対評価で評定を決めねばならない状況にあった。「4」の方に微々たる差で「3」を介入させねばならなかった。

 

その苦しみ。

 

また反面、どれも似たような「評定を上げるために作った作品」になっている点も見逃すことができなかった。自分の価値観を崩すようなアイディアや思い切った冒険に出る作品は少なく、小手先の「技」を駆使して「上手く見せる」事に秀でている子が意外に多かった。「課題提出力」が高いとでもいうのだろうか?

それだけではない。

生徒達は私自身が美術教師の中でも「アカデミック」なタイプの先生だと見抜いていた。

そのスタンスには生徒の中でも賛否あるのだろうが、それを私の前では決して言わずに評定絶対主義の彼らは、「思い切り自分に寄せてきている」という事に気がついた。

私の言葉の端々から私がどのような芸術に価値を置いているのかという点を彼らは読み取った。芸術という領域が多様な価値観である点も十分知っての上だ。

 

 

ここで自分は基礎的である程度公平な基準で評定を出す事にした。

画面の強度(完成度)だ。

 

絵画は一度本人の中で完成をする。もちろんその状態では画面に塗り残しなどなく、画面全てが幾筆にも折重ねられた痕跡が残っている。その上でもう少し何とかならないかと試行錯誤を繰り返すうちに第二の完成が訪れる。第一の完成と第二の完成を比べると画面全体が見えてくる強さのレベルが異なる。粘って試行錯誤をし、苦しんだ者だけが得られるものが画面の強度(完成度)がある。もちろんその他にも「形が歪んでいないか?」とか、トーン(調子)の色味が「3次元的な空間を作れているか?」、など基礎的な基準はあったが、強度不足は逆に言うとそれだけ絵画に時間も手間もかけていないのであるから、彼らも納得できるベースとなる基準として敷く事にした。これで絵が下手でも頑張ってる生徒にはある程度のチャンスが生まれた。

 

彼らの大学受験に向かうための競争意識による一生懸命さを見るたびに、「心の底から芸術を楽しむ」訳ではない点が当時の自分の悩みだった。でもそれはある程度の画面の強度を前提にしている訳だから、贅沢な悩みとも言えたのだが、美術の時間はもっと遊び心があったり、本人がリラックスができる時間にならないと良い作品は生まれないと思った。

 

 

そこに辿り着く為には一度「評定」というものの概念を破壊する必要があったが、評定が全ての彼らにそれを課す事はとても難しい事だった。

 

松江塾で副教科の評定の取り方の話が出た時、当時の自分の悩みを思い出した。

 

時間がない中でも、勉強と同じように、作品を作る上でもがき苦しんで足掻いて作ってほしい。強度の高い完成度に向けて何とかしようと作り込んでほしい。

 

その気持ちはメイン教科と変わらない。

なので、美術を「勉強で時間がない子のために…」という立ち位置だけにはしたくなかった。

 

元美術教師の気持ちとして書き記す事ができたらと思う。