こんばんは⭐️レモネードです。
先日の親単科は東大明大生4人衆の共通点の一つとしてその根っこにある家族コミュニティの結束感についてのお話がされた。
子供の周りのコミュニティの中でも、「家族コミュニティ」を子供が安心できる認めてもらえるを最も子供にとって価値の高いコミュニティとして創造できるかという視点からのお話だった。
「家族コミュニティの充足」
真島家ではここのコミュニティが強固なのだろうな、と想像した。
「あの子はどういう子?」「へーなるほど、そうなのね。」から始まって「その子はこういう考え方で動いているんだ。」という分析。「こういう風にコミュニケーションを図ると道が拓ける」といったアドバイス。学校分析、教員分析、真島先生のブログの内容から想像することができた。
子供の周りに属するコミュニティを徹底的に分析する、、
例えるなら、「JR本部」みたいなものだ🚃
各路線を仕切っている司令塔。
ダイヤの乱れがあれば、瞬時に情報を受信し、各路線への連結を調整。
トラブルが起きれば、その路線の沿線までも情報伝達。
常にどの路線がどうなっているのか、現状を把握。
こんなイメージだ。
子供しか知らない情報がブログに満載なので、「千里眼👀✨」を持っているのかと思った💦
私が育った環境はこれと相反して、みんな秘密主義(!)で、好き勝手放題。
その代わり、自分でやらねばならない環境だった。
受験など教育関連のみジーが過剰なほど把握していたが、バー(私の母)は仕事が忙しく、私の勉強などは見てもらった事はなかった。
もちろん自分の友達関係を家族で共有する事はあまりなく、たまに遊びにくる子を「誰だっけ?」と話したりする位で、子供の友人関係など全く興味すら持っていなかったように思う。
ただ、好きなテレビ番組やスポーツ、ゲーム、プログラミングや内容があるモノについての話題は多かった気がする。
自分が家庭を持っても、個人主義的な基本スタンスは抜け出せなかった。
それでもニーやムラの友人関係には、心配もあったので把握できるように気を遣ってきた。
ただ家族を子供の最強のコミュニティにさせよう!という意識は持った事もなかった。
そんな環境が普通だと思っていたので、真島先生のおっしゃる「最強な家族コミュニティ」をうまく把握する事はできなかった。
ただ本音をはっきり書くと、
自分が「最強な家族コミュニティ」の一員だったら、窮屈だろうな🌀と思う。
「報・連・相」な家族などまっぴらごめんだ💦
経営しているならまだしも。
しかも親が自分のコミュニティの本部の座に鎮座しようものなら、多分私は家出をしているかと思う🌀
これは一つの洗脳だし、子供を見えない糸で繋がれたパペットのようなものに育成するものではないかと思ったのが率直な感想だ。
「愛」という名の元では表面上何でも許される。
しかし価値観の押し付けだけはごめんだし、メインコミュニティに家族がいようものなら、やりづらくてしょうがない気がする。
自分の中の家族はたまに会うから楽しいものだと思っている。
価値観の違いなのかもしれない。
ニーもムラもどこか希薄な関係性にあるのは、私のそういう価値観が根底にあるからかもしれない。
大事に愛して育てる。自信が持てるように育てる重要性は大事だと思う。
しかし周りのコミュニティの言語化を家族間で共有するのは、あまりやりたくないと感じた。
率直な感想でした🙏💦