中2高2松江塾【初代公認】ママブロガーレモネードの徒然記

松江塾中2男子・松江塾卒高2男子のママ、レモネードです。日々の記録や思ったこと感じたことを徒然記していきます。

【多浪生の視点】自省の大切さを改めて考える

こんばんは⭐️レモネードです。

いつの間にか日付が変わっていました💦

国立大学と聞いて思い出す人がいる。

その名はY君!

彼とは同じ予備校で、彼は東京藝術大学を目指していた。

そんなお話。

お暇な人はお付き合い下さい🙏💦

 

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私が埼玉から東京の美術予備校に本格的に通い始めたのは高2の時。

高1の時に冬期講習を受講しデッサンなどの手解きを受け、

高2からは彫刻科、日本画科、油絵科、デザイン科などなど自分が行きたい各専門の学科に分かれるカリキュラムだった。

 

私が志望したのは油絵科。Y君は同じ現役生のクラスにいた。

油絵科では沢山の男女関係なく友達ができた。

都心のギャルやギャル男達は初めこそカルチャーショックを受けたけど、

それぞれの価値観を尊重できる点が田舎のギャルと全然違って、

放課後はほぼ毎日美術予備校で仲間達と楽しくデッサンや絵画に明け暮れた。

 

Y君は高1の冬期講習から「デッサンがとても上手👏!」と評判の男子だった。

ごく普通の男子高校生。ちょっと落ち着いていて気が優しく、ちょっと悟っていて、厨二病的なギラギラ感は皆無だった。

Y君と私は初めはちょっとしたライバル関係だった。

でも美大受験に向けて仲間意識が強くなる内に、普通に話すようになり、

Y君は私の絵を「すごく好き!」と言ってくれていた。

 

当時の美大にはよく言われる5美大という大学があって、

東京造形大ー女子美術大ー多摩美術大ー武蔵野美術大ー東京芸術大(国立)

の順番で入試が迫ってくる。

当時、武蔵美の油絵科の倍率は21倍だった。

入試に入るアトリエの収容人数が約42人だったから、そのアトリエで上位2名だけが合格を勝ち取れる狭き門だった。

 

私は東京芸大も目指していたのだけど、本命は武蔵美だった。

なぜなら通っていた予備校自体の名前が武蔵美特化型だったし、講師の先生も武蔵美卒が多く、何よりどの美大より家が近かった。

 

入試前の面談ではどこかしら受かると言われた。

結果は唯一受かったのが武蔵美のみという、ギリ加減だった💦

それでも武蔵美の合格は奇跡のようなものだった。

 

そしてY君も武蔵美に受かった。

他の友達と共に、Y君も武蔵美に行くものとかと思っていた。

 

しかし違った。

Y君の第一志望は国立の東京芸大だったのだ。

当時の倍率はまさかの約100倍。

にも関わらず、Y君は浪人という選択を選んだ。

 

それに関しては私は特に何も感じなかった。

寂しい気持ちはあったが、彼は彼の道を行くんだな、と思った。

それ以上に武蔵美に受かったフィーバーでそんな事すら忘れていた。

 

武蔵美に入学して3年が経ち、ふと高校時代に通っていた予備校に行く用事ができた。

当時の予備校の先生(塾長)と話す機会を得た。

制作活動についても相談に乗ってくれるという連絡をもらった。

 

早速行ってみて、いたのだ。

そう、彼が。

Y君!!!

 

まだ芸大を狙っていたなんて、驚いた。

多浪生だ。

Y君の噂はよく聞いていた。

毎年のように多摩美や武蔵美に受かっているのに、

記念受験のままでもったいない私にちょうだいよ🌀という周りからの嫉妬のような噂だった。

 

彼は私大を蹴り続けてまだ芸大を狙っている事に驚いた。

Y君は高校時代のままだった。

「さすがにもう後がない💦」と言いながらも普通に制作に取り組んでいた。

 

彼の作品は深さを増していた。

私は彼のスタンスに納得をした。

結局美大に入っても入らなくても行く末はアーティストなんだ。

やっている事は先に入学した私達と変わらないんだと。

 

でも、彼の絵はあくまで「受験」の絵だった。

大学に入る事で視野も広がるし、もうそろそろ落ち着いて芸大に拘らず美大生になってもいいのではないかとも思ったが、お気楽な大学生になった私にはないプレッシャーに常に苛まれている彼の苦悩はしっかりと絵に表現されていた。

 

彼はその後芸大に入りアーティストになった。

アートの世界は当時は特に多浪など普通だったので、ただ彼のアーティストデビューが少し遅れただけの事だった。

 

Y君と違って私は多浪生になる事で当時から就職に不利だの、世間の目だのといった「いわゆる雑念」に囚われていた。

 

Y君は確固たる自我が当時からしっかりあったので、多浪など何て事もなかったんだ。

 

雑念は結婚後もしっかり私の中に根付いていてニーやムラは普通大なのだし、就職も普通にするのだろうから流石に3浪はないだろうとかいった雑念に囚われている。

流石にずっと予備校通いでは親も大変だ。

 

ただそんな一般的な視点や概念に囚われている時に、

Y君の「世間一般に常に動じることがない視点」を思い出す。

Y君に倫理的に試されているような気持ちになる。

 

何が正しいのかはわからない。

大手とか就職とか世間一般の視点は有利不利があることだろう。

 

しかしアーティストや研究者には意外とその視点が緩いことに気が付く。

 

自分が決めたのだったら、もうそれでいいのではないか?

そう思ったら、踊らされているのはむしろこちら側であることに気が付く。

 

世間一般の視点に踊らされている人程、転職したり脱サラしたりが多いのかもしれない。

 

自分の中で確固として築いたものはそう簡単に崩れないはずだ。

 

そう確信したその時の視点を忘れずにいようと思う。

 

普段が雑念だらけなので、特に🖐️💦