中2高2松江塾【初代公認】ママブロガーレモネードの徒然記

松江塾中2男子・松江塾卒高2男子のママ、レモネードです。日々の記録や思ったこと感じたことを徒然記していきます。

【シン高校部2年始動!!!】アウトオブ結果から見えてくるもの

おはようございます☁️レモネードです。

 

昨日松江塾高校部2年生がついに本格的に始動しました。

 

開始後は中2コースを抜け出してきた真島先生が中2と同じテストを実施!

待ってました!かのような中2との比較が言及された。

中2にはムラが在籍!ニー、ムラに負けるなよ💪✨

そして亜朗先生による英語長文解読!

亜朗先生の気合いの入り方がすごい✨✨✨

 

真島先生に色々書かれていますが💦

www.matsuejuku.com

 

ニーはとても充実した時間だったと目を輝かせていた👀✨

真島先生も安定に良かったのだけど、亜朗先生の共通テスト英語の長文解読がとても勉強になったそうだ。

一つ一つの言い回しや単語や構文のシークエンスをバラしてわかりやすく組み立てる作業は並大抵の事ではない(しかも長文!)。

亜朗先生の努力や真面目さや効果を上げようとする力が画面からも伝わってきた。

 

ちなみに新高校部は今月(5月)いっぱいまで体験期間が延長された。

3月からだから、、約3ヶ月の体験期間になる。

 

ニーは昨日河合塾模試があった。

家族旅行すらボイコットしてひたすら勉強し、

以前より手応え(特に英語)を感じていたらしい。

 

ここに松江塾高等部をうまく自分の中で消化し活用できればと願う。

ニーの学力が伸びればいいな、と思った。

 

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

 

前述と全く相反する内容ではあるが、本日考えさせられた事があったので、

忘れない内に記述させて頂こうと思う。

 

今朝、雨が降っていたので、ニーを学校まで車で送迎した。

その際、車のBGMから藤井風さんの音楽が流れてきたんだ。

Workin' Hard - Single

Workin' Hard - Single

  • 藤井 風
  • J-Pop
  • ¥255

music.apple.com

 

よくテスト前や受験期はあまり聞かない方がいいかもしれないと言われる藤井風さん。

なぜなら「頑張りすぎなさんな」「もうええわ。自由になるわ。」といったメッセージが歌詞内に多くあり、「勉強を頑張ろう!」という意欲から、「まあ、いいか。」のスタンスに移行する危険性が学生内ではよく言われているからだ。

 

ニーはまさに今、勉強を毎日頑張っている最中ではあるのだけど、

この「Workin' Hard」という曲の中から私とニーは車内で以下のメッセージを受信した。

 

⭐️結果なんかかったるいわ

⭐️君は一生懸命働いて(勉強して)きたね

⭐️敵も味方(偏差値)も本当はない

⭐️プロセスを信じて勇気を出そう

 

 

頑張って結果出そうとしていた矢先だったから上記の言葉がものすごい爆撃力だったの💦

でも何かしら私の心の琴線に触れたから、ニーに言語化してみた。

 

 

「結果は気にせずに勉強を一生懸命できれば、それでいいかもね!」

(あーー言ってしまった💦💦💦💦)

 

その時、結果を度外視して勉強だけをする世界が見えてきたんだ。

日本人も資本主義国は確かに結果こそ全てだし、それに伴う各自の評価にとても敏感だ。

しかしそういったしがらみ(結果や評価)を一度度外視した世界を言語化してみると、

「勉強を楽しむ」事のみに意識を向けた心が楽になるようなリラックスした世界観が生まれてきたんだ。

 

「勉強を頑張ってね。それでいい。」

 

ただ勉強をするだけの世界。

 

 

この時、ふと思い出した人がいる。

画家の熊谷守一さん。

とてもいい絵を描く方で私も大好きだ。

以前「モリのいる場所」という映画にもなりました。

 

この方はよく奥さんと囲碁を打つのだけど、

その囲碁の仕方が、、夫婦共に

ただ空いている場所に碁石を置いているだけ

の打ち方で、対戦形式までは至っていなかったとの事だ。

熊谷さん夫婦の囲碁を見た人は「あれは囲碁ではない!」と語っていた。

 

 

 

結果を度外視してただ勉強するだけの世界がこのゲーム形式に近いなって思ったんだ。

(ゲームと呼べるかも難しいところであるが)

(絵を描いているように碁を打っているようにも見える)

 

そこには争いもないので偏差値もない。故に結果などなく、

ただ「勉強をした」という物的事実だけが在る世界。

 

でもここにはまだ開拓すべき何かがある、と思った。

 

その時初めて「勉強そのもの」を楽しめると思ったからだ。

 

そこに本人の本人の特性のみによるクリエイティブな契機や本人が実験的に遊ぼうと画策できる契機がないだろうか?

 

あれだけ結果や評価に感度が高いニーから「結果度外視」でそのモチベを削除したら、

どんな化学反応が起こるのだろう?と気になったんだ。

 

彼は本当にそれでも勉強を続けるのだろうか?

 

当たり前のように勉強がそばにあるのだろうか?

 

ここで続ければ、彼の意欲は本物のように思った。