おはようございます。
ちょこっと時間ができました!
3分クッキングならぬ3分ブログ、書いてみようと思います。
(スピード重視!中品質でいきます🫡!)
いつも感覚で書いておりまして💦誤字脱字、失礼します💦
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
昨日、「親単科」LINEに夫婦ラジオがアップされた。
久しぶりにボネ子先生のお話が聞ける😆✨
昨日仕事しながら、聞いてみた!
とても考えさせられる内容だった。
そこで、一点、真島ご夫婦お2人による共通する気になるセリフがあった。
おそらく他のブロガーさん達でも「ん??」と思われた方もいるかもしれない。
それは、、
「地頭いい子の親は、おそらく親単科受講してなーーーい!!!」
ド―――(゚д゚)―――ン
🌊🌊🌊🌊
きたーーー!!!
うちら何なの\( ᐙ )/??
しかしだ!私はこの夫婦ラジオで、このセリフが最も「地頭とは何ぞや?」の答えにあたると思ったんだ✨
一般的に教育意識の高い親は、
実は子供からあるものを多く奪っているように感じたんだ。
それは、、
「退屈な時間」だ。
もちろん、私も普段特にムラやニーに対してついつい勉強に対して慌ただしい声がけをしている事を注意喚起として受け取った。
「そんなボケーっとしている時間があったら、学校からの課題?宿題?塾のペナテスト勉強??やっちゃいなさいよ💢」
「時間があるのなら、その時間をいかに有効活用するのか考えなさい🫵!」
「退屈してるなら、やる事あるでしょ💢!」
ってヤツだ💧
覚えある。
ものすごくある💧
しかしながら、真の意味で「自主性」というものは、とことん退屈した人の根っこに実は宿るものなんだ。
とことん時間を持て余し、退屈し、やる事がなくなって、
マジでこの自由をどうしようかーってなってなる💦
この広い世界に取り残された気分。
自分の人生の行く末を悲観してみたり。
将来像を考えてみたり。
人間とは存在とはそもそも何なのかを考え始める。
そこで人間の脳細胞のニューロンはあらゆる各分野を横断し考える始める!
自分(独自の)遊びってものを考える行動だ。
こんな遊び閃いた✨ってモノ化する!
なみさんが小学生の頃にやられていた、お友達の見様見聞きで作り上げる「自分流公○式」にも近いかもしれない✨
(なみさんたびたびの言及ごめんなさい🙏💦)
「退屈が人を育てる」
幼い頃からの勉強に関しても習い事に関しても早期教育が主流な今、聞きなれない言葉かもしれない。
しかし「退屈=害悪」という概念は、おそらくどこかに追放しなければならない。
ちなみに教員のチャー(生徒指導部)も同じ考え方をしている。
古い記事ですが、、、
しかしながら既に教育意識がギラギラと高まっている親単科受講者に、
ここまで学校課題やペナテストに追われていて時間がない中で、
どうやって子供本人の退屈な時間など生み出せるものだろうか?
その答えは、もちろん伴走は必要だろうが、おそらく
「退屈=害悪」という概念を解き放ち、「退屈=自主性の創造媒体」と親が視点を変えるだけで、違う部分が多く出てくるのではないだろうか?
ただ、もう一点ゴーまじ先生も最後の方に仰っていたが、
退屈する場所が、スマホやネットゲーム完備の部屋だったら、
自主性の根っこどころか、超受動態(!)な人が出来上がるしかない💧
ITを徹底排除した環境で退屈な時間を過ごす事は、現代では難しいのだろうか?
うちはIT系(スマホやスイッチ、動画配信)は全て制限をかけているが、
本や知性に結びつく環境で子供を「放置」できるようになれたらいいな、と考えてみた。
親も子供の勉強のみに意識を集中するのではなく、学歴以外にも色々な執着や視点を持つ事も大事なのだと考えさせられた。
昭和の時代のようにはいかないのだろうが、
目先の勉強や課題から一度視界を広げて
どうすれば社会で活躍できる人になれるのか?
そこに照準を合わせて考えてみる事も大事だと思わせられた。