中2高2松江塾【初代公認】ママブロガーレモネードの徒然記

松江塾中2男子・松江塾卒高2男子のママ、レモネードです。日々の記録や思ったこと感じたことを徒然記していきます。

【地頭論①】個性を尊重する事

おはようございます🍋レモネードです。

昨夜から本日午前中にかけて

チャーの分の確定申告していました(ギリギリ💦)

 

ふるさと納税や医療費などしっかり入力しておかねば!と。

しかし入力方法が自分が普段使い慣れているアプリと違って、

国税庁が作ったサイトだっただから、頭がグルグル😵🌀状態に💦💦

何とか終わったe-tax!

 

そんなこんなで私がPCにかかりきりだったので

チャーには朝から洗濯物を干してもらったり、布団を畳んでもらったり、

昼食作ってもらったり

ここぞとばかりに、チャーに働いてもらいました💦!

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

地頭についての言及が滞っている中、

なみさんの神記事をまたまた発見!

ecyoz.hatenablog.com

 

目で理解する力の段階で

階段があるんだなって思ったのだ

 

段階で階段?笑

赤ちゃんが目で理解していく段階に、さらに階段がある!!!

というすごいお話だ〜✨✨✨✨

 

子供の感覚と共になみさんご自身も同じ目で感じている感がすごく伝わってきた。

 

 

そしてムラの幼少期を思い出した。

ムラの幼少期はなみさんの子供①君とは反対で、

耳がダメで目で理解する子だった。

 

幼稚園の頃から、言葉が曖昧でうまくムラの言葉を聞き取れないことが多かった。

お友達とは行動や態度でコミュニケーションをとっている感じだった。

その答えを、小学校入学時の就学時検診で指摘された。

 

言葉の発音の遅れ

 

すぐに入学早々別の小学校の「ことばの通級」に通うことになった。

別の学校の言語療法士さんに診てもらうと、なんと

カ行とラ行が発音できていない事が判明した💦

 

ラ行はいわゆる赤ちゃん言葉によくある事(「ラーメン」を「ヤーメン」と発音したり)だったのだが、カ行はかなり幼少期に幼児が獲得する機能だったから、その点は集中的な訓練が必要だ、という話を聞いた。

 

驚いた😱

専門家の意見を聞いて初めて知った。

もっと早く幼稚園の頃から連れてこれなかった事を後悔した。

 

「ことばの教室」は小1の初めから夏休みまでで卒業できたが、

そこでの言語療法士さんの訓練は独特だった。

傾斜のあるビー玉を転がすおもちゃのビー玉を見つめながら、

「きぃー・きぇー・きぅー」という言葉を発していく。

その内のカ行の音の違いを認識し始めるというものだった。

 

言語療法士さんは教育者としても良い先生で、

ムラのポーカーフェイスだが情に厚い部分を、かなり早い段階で見抜いてくれて、

「ムラ君なら大丈夫です。」といつも太鼓判を押してくれた。

 

小学時代も実は今でもムラはたまにやらかす。

ラ行とカ行の混合だ。

まさか音声言語の影響が書き言葉にも露呈するとは思わなかった。

漢字テストや作文で、たまにあべこべな言葉を書いてしまう。

そのあべこべ言葉はまさにムラが音声で認識しているものである事は想像できた。

 

そこで改めて感じたんだ。

人は言語を音声メインで獲得している事を。

もちろん書き言葉を習う事で、子供は当たり前のように音声言語と書き言葉を「同じもの」として認識し始める。

 

しかし音声言語の獲得が曖昧だったムラの中の文字言葉は、時に全く考えられない文字表現に変わる事があったんだ。

 

反面ムラは幼稚園時代から視覚的には優れていて、大人版の間違え探しの雑誌を買っては2〜3日で全部解いてしまう子だった。今でもほんのちょっと家具を移動しただけで、すぐバレる。

なみさんのおっしゃるように「勉強の仕方自体も」自分カスタマイズに編み出す程の個性が、その子を伸ばす上でとても大事なんだな、と思わせられた。

確かに何かに取り組むべき問題がある時、一様のアプローチとは限らない。

その子自身が自分自身の強みや癖を知って、自分流でのアプローチ程強いものはない。

 

それは私にとってはワールドカップでスペインのサッカーチームに、勝った時のブラジルチームを思い起こさせるものだった。

そのサッカー形態は、そこらの公園で草サッカーしている子供達の戦術だと見受けられた。

 

何が起きるかわからない上に勘や偶然性も味方につけている。

近所のガキ大将がよくやる「意味分かんない」プレー。「何でそうなる?」プレー。

強豪国スペインすらも読めない予測できない。

当たり前だ。

多分ブラジルチーム本人たちも予測してない💦

そこにその人独自の「オリジナル」の原石が実はある。

そういう世界だと思った。

 

その試行錯誤の中に芽がでる契機があり、形式張った戦術にはない創造性がある気がした。

その中には自由という束縛からの「あそび」も必要なように感じた。

延長線上に社会に出る上での自分の位置探しという結末に、自分の中の何かが腑に落ちた。

 

社会で何かしら花咲くために今、自分流アレンジを繰り返している。

そこはある意味学力のランキングも大事ではあるが、本当に自分だけの花を咲かせる事こそ、学力をもっと身につける上でもその子の人生をより輝かせる上でも大事なんだな、と思わせられた🌸✨