おはようございます☔️レモネードです。
昨日は、ブログ更新をサボってしまいました💦
PCを買い直して、新しいキーボード操作に慣れていない点もあり、
誤字や変換ミスなどご容赦ください🙏💦
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
本日は雪と雨で、ニーを高校まで送迎した。
そこで勉強の捉え方、塾の捉え方、生活の捉え方などの価値観の違いを再確認した。
喧嘩までは至っていない。
でもそういう時いつも決まって思い出す光景がある。
今日はそんな思い出話です☁️
あれは、美大3年位の頃だったと思う。
私の実家の近くにとても大きい図書館があった。
ちょうどこの時期(3月)に図書館から
「一昨年の発行された雑誌(古本)を一般向けにお渡ししますので、よろしければ取りに来てください✨」
といったお知らせが届く。
これに目を輝かせる人たちは少なくない。
ちなみに当時の私が目をつけていたのは、、
アート雑誌ではなく、
「現代思想」✨
という雑誌だった。
美術でも現代アートや評論に興味がある人は哲学の雑誌を買う人もいた。
一冊一冊それぞれとっても学生のバイト代で賄うには金額も結構高い。
それを過去のもの(2年前)とはいえ中古とはいえ
「知の結晶」約1年分まるまる無料で手に入るなんて✨
学生にとってはとてつもないお宝だった。
さすが、図書館!こんなお宝をくれるなんてなんて気前がいいんだ😭✨
当時の私は、図書館からのお知らせにそんな感銘を受けながら、
早速当日朝1時間前に図書館の入口前に向かった。
何とそこには既に長蛇の列!!
といっても20人位だったが、朝早くから並んでいる人で既に図書館の入口は遠いものになっていたんだ💦
その20人の様子をみると男性7割女性3割位。
学生も多いが中年もそれなりにいる。
私は焦り始めた。
その20人が皆んな雑誌「現代思想」を狙っているように思えたんだ💦💦💦
自分にとってあんないい雑誌はない!と思っていたので、誰もが喉から手が出るほど欲しがるだろうと!
哲学オタクは外からは見えにくい。
意外とファッショナブルな普通の兄ちゃんがまさにそれだったりする。
丸縁メガネの「ザ・勉学!」っていうのはあまりいない。
しかしたまにいる事もある。
あの人もあの人も怪しく見え始める💦
またそつなく並んでいるコケティッシュな感じの中年女性も文学領域から哲学に参入してくる可能性も考えられた。
どうしよう💦20人もいたら「現代思想」とられちゃうよ〜〜😭
私は泣きそうだった。
しかしよく見てみると、私のように他の人も他人それぞれを牽制しているように見えた。
あんたらには渡さんからな😤!
そんな強い意志を感じた。
「早いもの順」ってめっちゃこわい!
開館までの1時間が永遠に長く感じた。
ついに図書館の司書さんが出てきて、図書館の入口を開けた。
その頃には50名近くの人が既に並んでいたんだ😫🌀
私はさらに焦った。
50名もいれば現代思想オタクは絶対多くいるはず!走らなきゃ無理かも!
開館と同時に走り出す人々。
コミケの初日の始発ダッシュみたいな感じ??
みんな走っている!走りまくる!
私はやっとこ現代思想の雑誌の前にたどり着いた。
やった1着だ🎉!!
雑誌「現代思想」1年分、自分のものだ😂✨
歓喜と共に周りを見渡すと、、
誰もいなかった💧
…
…
「現代思想」オタクは自分だけだったのだ💦
結構怪しく思っていた2人前にいたファッショナブルな彼は、
雑誌「鉄道ファン」の前にいた。
私と同じように歓喜に満ちた顔で箱バッグに雑誌を詰め込んでいた。
もちろん一人で。
私と同じように彼の周りにも誰もいない。
彼こそものすごい勢いで走っていたのを記憶していた。
そしてもう一人絶対そうだろうと目をつけていた兄ちゃん。
雑誌「山と渓谷」の前にいた。
彼も一人で歓喜に満ちていた💧もちろん一人で。
私は「現代思想」雑誌を詰め込んで帰りながら、気がついたんだ。
誰も被っていない事を。
あー残念!みたいに誰かが誰かの雑誌を詰め込む様子を見る光景は一切なく、
それぞれが歓喜に満ちた顔でそれぞれの雑誌や本を持ち帰っていた。
その時、私の中で何か悟った。
人は人だ、という事を。
…
当たり前だが💦!
うまく言い表せないけれど、自分の中での「他人」と
実際の「他人」は全く違うのだ。
想像上の他人と本当の他人。
全く違う時間軸を生きていて、全く被りもせず、もちろん価値観すら想像できない事を悟った。
自分がこうだろう!と思った正義は他人には正義ではないんだ。
牽制し合っていた「鉄道ファン」の兄ちゃんにとってはあの雑誌はめちゃめちゃお宝なんであって、私がこんなにお宝扱いしている「現代思想」はあの兄ちゃんにはゴミクズ同然なのだと。
今日は雨で、ニーを車で高校まで送迎した。
そこで私が捉えている「松江塾」と
ニーが捉えている「松江塾」が全く違うものだと悟った。
悟ったは言い過ぎだ。
片鱗が見えただけだった。
当たり前だが、ニーは既に別人格で、自分の道を歩いているんだと思わせられた。
その時、あの当時の「鉄道ファン」や「山と渓谷」の兄ちゃん達を思い出したんだ。
各々の価値観を各々が大切にしなければならない。
それには(家族とて)他人という存在の大きさを想像できないという前提をまず知る事からなんだ。
そう思わせられた。