中1高1松江塾【初代公認】ママブロガーレモネードの徒然記

松江塾中1男子・松江塾卒高1男子のママ、レモネードです。日々の記録や思ったこと感じたことを徒然記していきます。

【松江塾 親単科⑩ 「大人ぶる」子供とは?】

今日もお疲れ様です!

コンテクストに関しての続きです。

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コンテクストを理解するという事はかなり幅が広い知識を身につける事が大事なのだと思いました。

 

・文字(表記)としての言葉

・音声としての言葉

 

この2点の一致。

 

・文脈を読む

・空気を読む

 

こちらの一致も必要かと思う。

 

 

「文面通り」に行動しても実際は違う事は多い。

言語表現の理解に留まらずに、実際に空気を読んで発話してコミュニケーションが取れる人がやはり国語力(読解力)を制するという結論になるのだろう。

 

 

真島先生のおっしゃるように、茶の間で親子の会話で言語のコンテクストが養われる点は多くあるように思いました。三語短文で、「この言葉はね…」と親が説明すると「なるほど〜」と理解される部分が多くある。

 

 

ですが私が現実的に一番大事だと思う点は、やはり実際の文章をまず読む事なのではないかという感想を持った。

 

音声言語と記述言語は、それを受け取る側の器官(「耳」と「目」)も違う。

現実に生きる世界の中に存在する音声言語と違って、書物の文面の中でまた別のリアリティが存在するかと思う。

 

映像や音声と比較して、漫画や書物やはり文脈の捉え方が容易ではないと感じるからだ。

 

一部の難解と言われる映画は別として、特に一般的な映画や映像は文脈が捉えられやすいように作られている。

 

しかし書物の中ではある程度自主的に自分の中での分類、整理して文脈を捉える必要がある。

大方の書物は子供にとって退屈だろうが、本人が興味のあるものは別でそこがクリアできれば子供にとって書物を読む訓練できるのではないかと思われた。

 

書物で見た聞いた文字や熟語を、実際のニュースや現実の中で見つけて理解する事。

この順序が語彙力や文脈理解には、個人的に一番最短かと思われた。

なぜなら音声から理解した単語を元に文面が読めるか?または文面に起こせるか?は、前者より敷居が高いように思われたからだ。

 

 

 

 

後もう一点追加で、コンテクスト理解に最近の子(まさにうちの子です!)が足りないが絶対に必要だと思うものを挙げたい。

 

「ザ⭐︎大人ぶりっ子」だ。

 

「大人ぶりっ子って何だ??」と思われる方も多いかもしれませんが、昭和の時代には確かにいた!「僕にはその問題くらい解けますねぇ〜」とか「今の総理大臣は、〇〇が足りていませんねぇ〜」とか年長者に向かってまるで大人の仲間入りをするように話す子供の事だ。

 

大人ぶる子は無理して背伸びして難しい本を読んでみたり、社会情勢を掴もうとしてみたり政治に首を突っ込んだり、言葉だけでなく言動共に所謂生意気な子だ。

 

ここで覚えた真新しい言葉や難解な言語がいずれ生意気ぶっているうちに定着していく事例がその潮流が多くあったように思う。

 

なぜ今いないのか?

 

スマホやゲームなどのエンターテイメントに熱中している子供は、始めから「僕には関係ない世界だ。」と切り離すべく既に社会に楯突く事自体を諦めているからではないだろうか?

 

残念ながら、親の言うことをちゃんと聞く「一般的な良い子」ではなく、社会に楯突くだけの反骨精神を持った子供にこそ「知識」というものが与えられるように思われた。

 

では何をすべきか?

 

スマホはある程度管理し、子供の好奇心から書物に目が向くように何とか施し、時に外に目が向くように退屈を感じるくらい何もない生活をさせることも大事なのではないかと思ったんだ。

 

自分で考えられる人間になる為の第一歩がまさに「反発」である事は、現状に対して疑問を持たない限りできない行動であるからだ。

 

それを考える時間と空間は、最低限必要なのではないかと思う。