こんばんは⭐️!
何やかんやこの時間になってしまいました💦
親単科&夫婦ラジオをようやく視聴。
今回も内容は書けませんが、私からみた感想や一意見として書けたらと思います。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
まず、
無意識的有能について。
実はこの言葉を聞いて、昭和の頃通っていた塾を思い出した。
懐かしい✨
私の通っていた塾に、「無意識的有能」つまり「勉強せんでもできるよ✏️」って子が多数いた。
中学受験で、都内の偏差値の高い中高一貫に入学していった。
しかし私のイメージでは読解ができる印象ではなく、バリバリ理系のイメージがある。
小学校の時からねずみ算、つるかめ算などから入り、数に関わるものはお任せ!って感じだった。
そういう子の特徴でも書いてみようかな!(小学生の時です)
・ちょっとお坊ちゃん(お嬢さま)っぽい!
→決しておしゃれな小学生やスポーツ万能な感じではないのだけど、着てる服とか、ちょっとふっくらした体格とか、大事にされて育っているなーって感じがあったよ。
・地元の人とはあまり馴染まなかった
→今思えば、初めから都会に出ていく前提があった。多分親御さんの視点が、近場を見るよりもかなり広範囲な視点で見ていたからのように思う。
・物事を斜めから見ていた!
→上記の「地元に馴染まない」事から推測できるかもしれないけど、地元民との軋轢でストレスというか鬱憤というかを抱えている感じがあった気がする。友達とも馴染んでいるようないないような微妙な感じはあったかもしれない。だからかもしれないけど、ちょっとニヒルな感じがあった。その負の領域が何気に勉強をするエネルギーに変えている感はあった気がする。
当時塾で勉強ができる子は2パターンあった。(ちなみに私は入っていませんでした💦)
①努力して上位に喰らいつく子
②あまり努力しないでも上位に行く子
「無意識的有能」は②のイメージだが、当時は①も②も差はない気がした。
上位の子は皆ひっくるめて全体的に上記のイメージがあった。
つまり、親御さんがしっかり勉強をやらせていたんだと思う。
それ以上に、当時は地元民(中学受験をしない子達)との軋轢で、メンタルをやられそうになっていた子達が勉強で唯一モチベーションをあげよう!的な雰囲気はあったように思う。
スポーツも勉強も両方できるような現代っ子とはちょっとノリが違っていたかもしれない。
ただし今回の親単科のような以心伝心ともいえる親子関係かといったらそこは判断が難しい。
まず初めに彼らは、やはり勉強という壁の前に否応なく立たされていた。
「この壁は乗り越えなければならない。」
このプレッシャーの中でやっていかねばばらない事は皆熟知していたように思う。
ただ彼らが語彙力満載という感じはなかった。
夕方から塾に行くバスや電車に揺られている彼ら。
あー親は塾に行って勉強しろって言うし、学校には居場所ないし、あー人生やるせない。
みたいなサラリーマンに近い情緒で座っていたように思う💦
ぺちゃくちゃ喋るタイプではなかったし、
勉強時間以外では、高い割合で当時流行りのゲームに熱中していた。
その彼らの中でも抜きん出ていた子は、確かに皆とちょっと違っていた。
うーん。
何が違うんだろう。
家庭内での会話もあったのかもしれない。
とにかく、一つ言えることは、
目がキラキラしていた。
そして、やはりキラキラしたオーラがあった。
写真で見る限りは顔立ちも身長も見た目も普通の子なのに、
芸能人みたいな場を明るくするオーラがあった気がする。
結局はどうすれば、このキラキラやオーラが生まれるか、という事なのかな。
やっぱり本人の楽しいと思う事をする。
全てはこれに尽きる気がする。
そして自分が楽しいと思う事をやってきた経験値がある。
今考えてみると、その親御さんは、かなり早い段階から子供を勉強系のベクトルに乗せていたのではないかと思う。おそらくその態勢は常時一貫していて、子供にとっては当たり前になっているのかもしれない。
中には「だりーなぁ」みたいな子も結構いたけど、
その子は楽しく勉強していた気がするよ。
当時の記憶に遡って自分なりに「無意識的有能」について言語化してみました。
あーだいぶ忘れてる🌀
自分の思い出はというと友達とドーナツ食べたとかそんなのばかり🍩
でも学校とは違う、塾ならではの楽しさがあった事は確かです。