案件と案件の間にちょっと時間ができた本日、
U-NEXTで、金八先生を見つけた。
「3年B組金八先生」を第一回だけ覗いてみた👀✨
初回は1979年だそうだ。
80年代に活躍する田原俊彦と近藤真彦が不良役で出ていた。
内容は赴任してきたばかりの金八先生がちょっとオドオドしながら、3年B組で自己紹介をする。その後帰宅するとクラスの目立たない男子生徒から電話が鳴る。「先生、さよなら。」と。先生は夜中、寝ずにその生徒を探しまくる、という内容。
その教室内の風景はもちろん番組用に作られた設定なので、当時の平均的な中学生の教室とはだいぶ脚色されたものではあるかと思う。
でもそれを差し引きして、驚いたのは、クラス全体の生徒達のコミュ力の高さだ。
金八先生が何かしゃべると、
「はあ??何言ってんだよ。」という不良。
「3年のこの時期に授業に穴を空けるなんて、責任感じてますか?」と言うメガネの秀才風生徒。
「みんな、ひとまず先生の話を聞きましょうよ。」と全体に呼びかける女子生徒。
「だからって、それはないでしょ!」と言うぶりっ子風な女子生徒。
反対意見も果敢にクラス内で先生に向かって発言する。
それだけでなく、道端で何かあれば、「あら、どうしたの?」と女子生徒が声をかけたり、
「せんせーい!」と遠くから爆速で男子生徒が走ってきたり、保健室では、男女グループがお祭り騒ぎで入ってきて養護の先生と世間話したり、言い方も中々の語彙力だ。男女仲も良くお互い意識したりせずに一端の大人の付き合いをしている。
当時は人と人のつながりが濃くて暖かい世界だったのだなー!と感じた。
それから40年以上経た今の中学校の教室はこの世界とはだいぶ変わったのかもしれない、と思った。
担任の先生が話している時に、何かしら横槍を入れようものなら、暗黙の「変人」扱いにならないだろうか?
また今不審者対策もあり、道ゆく人に気軽に話しかける生徒も減ったのかもしれない。
松江塾の中1のクラスを見ていると、結構生徒側が躊躇なく発言していたり、リアクションしていたり、もしかしたら暗黙の内に「はみ出さない」ルールの学校社会のガス抜きになっている側面もあるのかもしれない、と思った。
3年B組は作られた世界かもしれないが、とても自然で健全な発達をしている中学生に見えた。
中には親に管理されて「親の夢が僕の夢だ」とこぼす生徒。「偏差値が全てだ。」と行き場を失う生徒もいる。そういう生徒は金八先生にどこか甘えて、「僕の事も見てください。」と言ったり、金八先生に何かしらのアクションを求める。
それでも先生にアクションを求めているのだから、最低限のコミュ力はあるのだと思った。
ピーはある時、学校生活を「ダルい」と表現した。
部活や対人関係や授業に問題はない。
ただダルい。
不登校の子どもが最多であるニュースが流れた。
原因の1位が「無気力」なのだそうだ。
「ダルい」「無気力」
この言葉が意味するものは何だろうと思っていた矢先に見た「金八先生」とその日常風景。
自分の気持ちを自然に口にする事がない日常、
その環境にありながらも、時に必要な場面では自分の意見をしっかり言う生徒達。
何かが不自然な気がした。
自分の意見をしっかり持った生徒程、もしかしたら生きにくい社会になっているのではないか、と感じた。
SNSではネガティブワードが多い若い人達。
彼らが戦っているものは、泣いているものの原因は、一体なんだろう。世界的にも恵まれている彼らはなぜ辛い思いをしているのだろう。