おはようございます☀️
だいぶ寒くなってきましたが、秋晴れの1日になりそうです🍂
今日はどうしても書きたいことがあって、それをタイトルにしてみました。
「意図と動機」
この二つの間で、人は意外と混乱が生じているのではないか、と思った事からです。
そのきっかけは、下記のニュースを見た事からです。
国連でパレスチナ擁護側の特別報告者の女性が、イスラエル軍が、パレスチナ住民を破壊しようとする意図の証拠を挙げ、国連にパレスチナ危機をジェノサイド(集団虐殺)と分類するよう要請し、彼女はイスラエルの57年間の占領と国際決議の不遵守を非難し、イスラエルの国連資格を停止することを提案した。
そして彼女の言った言葉
意図を証明するのは難しいが、意図は動機ではなく、別のものだ。
意図とは、犯罪行為を通じて破壊しようとする決意です。
動機はさまざまですが、民間人の命が失われ続ける人道的危機です。
この女性は、イスラエルとパレスチナの紛争問題で、イスラエル支持者にとって、動機が先立ち、その動機と意図の認識が曖昧になっている点を指摘した。
私はニュースでこの女性の意見を聞いて、普段私たちの間でも「意図」と「動機」を「=イコール」で括っていることはないだろうか?と考えてみた。
例えば、安倍首相が銃で撃たれた時、彼を撃った犯人の「動機」が大きく報道され、「やむをえない」「十分な事情」という意見も多かった。
しかし彼は実際に銃で人を殺めようとする「意図」があった。
だから彼は逮捕され、償いをしなければならない。
ここの混同は絶対できない。
考えてみれば当たり前の事であるが、意外とメディアなどによって混同されやすい点なのかもしれない、と思った。
そしてこのきっかけで「意図/動機」、この混同がもっと身近な日常生活にも潜んでいないかを考える事にした。
親単科の流れで考えると、
ピーが、
「勉強をしたくない。」
と言う。
その「動機」を聞くと、色々出てくる。
・部活で疲れた…その場合は睡眠を取ったり休んだりしてから勉強しよう、という声かけができる。
・体調が悪い…熱を測ったり様子を見て今日はしっかり休もう、といった声かけができる。
・やる気が出ない…時間を決めて何時何分からだったらできる?といったやりとりができる。
しかしピーが自分の「意図」として
「勉強をしたくない。」
と言っているのであれば、もはや彼は勉強というものから完全にシャットアウトされる。
こうなった場合は、もはや親の出る幕はない。(それはないと思うが💧)
またネガティブな意味で、「意図/動機」の違いを考えるだけでなく、
もっとポジティブな意味で考えると、また多くの混同がある事に気が付く。
「彼がパイロットになりたい」動機と意図は別のものだ、という考え方だ。
彼がパイロットになりたい動機は、例えば、
・父親がパイロットで憧れていた。
・たまたまパイロットの擬似体験をする機会に恵まれて興味を持った。
・テレビのヒーローとなるパイロットを見て、自分も操縦したいと強く思った。
しかし上記の「動機」と
「僕はパイロットになる!」と「意図」する事は違うものである、とそれを区別して認識する事は大事であると思ったんだ。
なぜなら今、「動機」を持つ人は多くあれど、
実際の行動に結びつく「意図」として決意を持つ人はあまり多くないと感じたからだ。
ここでサッカーの本田圭佑選手の小6の時の卒業文集を見てみる。
「ぼくは大人になったら世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。」
と初めの段階で「なりたい」を通りこし「なる」と宣言している。その限りもはや「動機」でなく「意図」にあたると思った。
彼は当時サッカースキルが格別上手い訳でもなかった。しかし実際に意図している限りはなれるものなのではないか、と思った。
「動機」をいくら積み上げても、「意図」しなければ、終了なのだ。
また「動機」がいくらあれども「意図」しない選択は充分あり得る。