ある時、ぼんやり考えた。
日本語で「あ・り・が・と・う」
英語で「Thank you」
同じ意味だが、(今更ながら💧)超絶的に根本的に違うと。
ただ言語の構造が違うだけでない、と。
文化の違いがあれど精神的な部分もだいぶ違うぞ、と。
「Thank」という単語を調べてみた。
感謝すると言う意味だ。
「あなたに感謝する」で「ありがとう」と同等の意味になる。
でも「Thank」の一般的な意味だけではなく、原語について知りたいと思ったんだ。
出てきた!
「Think」(考える)と同系の単語だった。
さらに「我思う、故に我在り」のデカルトさんも、
「考える」ことは「感謝する」ことだと語ったそうだ。
「考える」という論理思考だけでなくそこには「愛」が必要で、
もし考える人が一人もいなくなれば、”それ”は存在しないのと同じことだと。
思考とは「存在」からの贈り物を受け取るということで、
「何かが欠けている」という意識こそが、私たちを真理へと至らしめるための思考の条件に他ならないと説いたそうだ。
西洋的な「Think you」を踏まえた上で、
日本で「ありがとう」を英語では「君を考えてるよ」って変換。
欧州ではベースとなっている事を認知。しかし
日本ベースで考えてウザくないだろうか?
ニー:ママ、食器ここに置いといたから
ママ:君の事いつも考えてるよ。
ママ:チャー、ペットボトルのお茶ここに置いとくね!
チャー:君の事、考えてるよ。
無理無理無理〜〜!!!
いや待て!古来の日本には「ありがとう」=「Think you」の変換は全くもって本当になかったのだろうか?平安時代には中国の影響を受けているのだろうが欧州の文化もちょっと位混入(エジプト→インド経由で)していたりしていないのだろうか?
百人一首を見てみると、やはり恋愛の歌が多い。
こんな歌がある。
「しのぶれど 色に出でにけり わが恋(こひ)は ものや思ふと 人の問ふまで」
「色にでにけり」「人も問ふている」しかし!
誰とは言っていない。どの歌人も「Think」止まりで「you」の部分がない。
在原業平様!とか〇〇天皇様!小野小町様とか言わないんだよね。
姫!とも殿!とも言っていない。
これって今で言うSNSなどでよく言われる、
「仄めかし」とか「匂わせ」ってものに近いんじゃないかなーーー???
日本人は相手に対してどこか間接的な表現をする、という結論に(勝手に😅)至った。
でもその「ありがとう」の5文字には、直球「Think you」にはない(「あはれ」とか「をかし」とか)様々な情緒が溢れている、と思った。
漢字で書くと「有難う」だから、
「中々ない事だ。稀有な事だ。」という事を伝える、自分を謙譲する意味があるようにも思えた。
が、「you」が見当たらない。
もしかしたら、自分を謙譲しすぎて「you」なんて言葉にするにも滅相な!みたいに日本には元々「you」を口にする文化がないのかもしれない。
だからこそ英語の「Thank you」=「ありがとう」変換は難しいのかもしれない。
言語構造においても精神的な構造においても。
しかし真島先生は違う!
常に「天使の事考えているよ✨!」
と公言していらっしゃる✨
実に英語の先生としてだけでなく、
実際に英語圏にも親和性の高いお方である、
と思いました。
そこで閃いた💡
意外と直球で相手に気持ちをその人にも第三者にも伝える事って
英語を勉強する上でマストの事なのかもしれない!と。
ちょっとした小話でした!
Think you!!