先日、読書感想文で迷っていたピー。
1つ目は、シャーロック・ホームズの「赤毛連盟」
シャーロック・ホームズの中でも最もポピュラーな推理小説だ。
2つ目は、芥川龍之介の「藪の中」
この小説は芥川作品の中でも唯一推理小説の傾向を帯びた特異な存在だ。
2点とも推理小説対決となった。
一方は海外の推理小説の大御所、一方は日本文学の大御所の推理系短編小説だ。
さて、ピーはどちらを選ぶのか?
ピーは一応読んだのだけど、怪しいので、夜寝る前にママが前日「赤毛連盟」音読、その次の日「藪の中」を音読した。
こんなに面白い小説を聞いた事がない!犯人はオックスフォード卒でとても頭がいい!まさかそんな手で銀行強盗を企んでいるなんて全く気づかなかった!シャーロックホームズはすごい!犯人は全然分からなかった!迷宮にいるみたいで面白かった!
上記のような感想であった。
そして藪の中、、この小説はものすごい短編なので読みやすかったのだが、多襄丸(強盗)が殺された若い侍の妻、真砂を手ごめにするという成人的な内容があり、そこはしっかりと説明をした。シャーロックに比べると日本独自の恥、情け、義理といった様々な感情が動く、、さすがの日本文学だ。
藪の中を読み終えた後、ピーはただ呆然としていた。どこか渋い表情をしている。
感想はなく、読書感想文は「藪の中」にする、と一言。衝撃的な内容だったらしい。
「藪の中」のすごいところは、最後に殺された若侍の証言が、巫女の口を借りて出てくる点だ。
シャーロックを筆頭とした推理小説は「死人に口無し」が鉄則だ。刑事や探偵が死人の残した痕跡や証拠や周りの人物関係、証言を元に事件を再構築していく。
比べて藪の中は、事件の全容が死者によって証言されているにもかかわらず、それすらも真実がどうかが分からない。
被害者の証言(自殺)すらも「ある一方向的で主観的な見方」の領域を出ない。
容疑者の多襄丸も同じく容疑者の真砂も三者三様に証言が食い違う。
同じ事件であるが、3人とも全く違う見方をしており、全く違う欲望、思惑、感情を持っている。まさに真実は「藪の中」。
結局誰が被害者を殺したのかが最後まで分からず、ネット上でも様々な犯人説が飛び交っている事を知った。
もはやこれは推理小説とは言えないのかもしれない。トリックは複数証言されているが、完全な真実としてのトリックが暴かれる事はないのだから。
芥川龍之介が言いたかった事は、同じ出来事に出くわしても、各人によって全く別の世界に見えている、という点かもしれない。性格の違い、性別の違い、状況の違い、状態の違い、環境の違い、今まで生きてきた生育の違い、価値観の違い、モノを見るフィルターに違い、、、受け取られ方は人によって全く違う。
この事件は決して大袈裟な事件ではなく、きっかけは多襄丸のちょっとした出来心が招いたものであり、日常生活の中に溶け込んでいるもにとも捉えられる。
人間同士が小競り合いや喧嘩や人間関係で悩むにも当然なのかもしれない。
ある人にはオレンジに見えているものがある人には青色に見えているのだから。
むしろ同じ世界を共有する事自体ありえないのかもしれない。
各人それぞれに世界観があり、その世界を生きている。
私たちはその人になってみないと、味わえない感覚、見えないものが多くある。
愛とは何か、愛と信じているものが、決してそうではなかった、とこの小説で感じる人も多いかもしれないが、そもそも愛の捉え方や概念自体抽象的で各人々の見ている世界の違いの狭間で溶けていくものだと思った。
やはりこの小説はしっかり文学であった。
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