中1高1松江塾【初代公認】ママブロガーレモネードの徒然記

松江塾中1男子・松江塾卒高1男子のママ、レモネードです。日々の記録や思ったこと感じたことを徒然記していきます。

「継続的に『自由』な記事」をいかにして書けるか考えてみよう!

おはようございます☀️レモネードです。

 

 

昨夜、久々に真っ白なブログの記事の空欄を見て、

「書く」事が出来なくなった。

 

何にも浮かばない。

 

これ、小学生の時、図工の時間で白い画用紙を渡され、先生に

「好きに書いていいですよ。」

と言われた時のあの「画面の白さ」を思い出す。

猫をテーマに描きなさいとか、風景画を見て描こう!というお題をもらった方が

数百倍楽だ。

 

みんなよく求める「自由」。しかし

「自由」程、攻略が難しい!

と悟った昨夜。

 

ボネ子先生の出された「学習塾に求めるもの」のテーマ、

私も書いてみようと思ったが、前々回の記事で触れているように思ったので別のテーマを探そうと思いました。(ボネ子先生、すいません🙏💦)

 

真島先生が記事を書く時は無限に言葉が溢れ出てくるように見えて、1日何記事も書かれていて、それはそれはすごい。

 

そして、今日のテーマは

「継続的に「自由」な記事」をいかにして書けるか考えてみよう!」

というものにした。

 

自由。本当に厄介だ。

実は自分は美大卒で、美大のファインアートの学科(彫刻、油絵、日本画などの学科)では1~2年生はテーマに沿った課題を取り組むが、3~4年生はそれこそ自由に自分でテーマを見つけて作品を制作しなければならない。

自分のテーマこそ自己流なアートを生み出す契機となるが、この自由な「自分のテーマ」こそ学生を悩ませるものはない。

ある同級生は「自分テーマ」を求めて海外に行ったまま帰って来なくなった。ある同級生は悩み過ぎて学校に来なくなるし、アートをやめてバンド活動に走ってしまう人。夜の街に繰り出し、クラブを梯子し「自分のテーマ」追求から逃れまくる人などなど。

「自由」の脅威は半端なかった。

 

では、「自由」を攻略した人(アート版)を考える。

数パターンあるように思う。

①一つの分野にテーマを絞って、その先駆者をとことん模倣する事で、最終的に「自分流」へ寄せていくやり方。

→初めは「真似!」などと言われるが、別の巨匠の作品を真似ながらもそこを基盤に、自分のテーマを開拓していくやり方

②始めから「自分流」だった。

→これはもう才能で、何を描いても自分流になるので、困っていない。日常の中にふとしたテーマをみつけて、他人の評価など気にせず自己流で描ける人。できる事ならこうなりたいものだ。

コミュ力があり、沢山のコミュニティを横断していて、出会いの契機の中にその都度テーマをみつけて「自分テーマ」にしていくやり方

→ここで得たテーマが「自分流」なのかは分からないが、現代アートはこのようなタイプが多いかなという印象。

④自省する事から「自分流」を追求する

→これが王道だが、やはり精神的にキツくてみんな山に逃げたり、海外に逃亡したり。

 

文章でも同じかもしれなが、やはり「自由」はキツい。

①のようにするには、やはり他の人の記事や文章自体を沢山読む必要があるのかな、と考える。

②の人も実は④のように自省できる環境を当たり前のように常にストイックに持っていて、見習わなければならないな、と。

③の要素も必要だと思う今日この頃。沢山のアンテナを貼らなきゃとも思う。

 

考えた結果、

「自由」のストレスは常にあるものだと考えざるを得なくなった。

イチロー選手が「プレッシャーの脅威はあるものだというスタンスでいる。それがプロだ。」と言っていたように。

でも「慣れ」で何とか飼い慣らす方法があるかもしれない。

解決になったのだろうか?いや、逆に追い込まれたかも💦